「支援者としての私」と「母としての私」

私は、京都府在住。高校2年生の娘がいます。
支援者として子どもと関わる仕事をしてきましたが、自分の子育てに生かしきれない場面も多くありました。

今日は、「支援者としての私」と「母としての私」が揺れていた時期のことを、二つの出来事を通してお伝えします。

目次

エピソード①「年中の保育参観」

一つ目は、娘が年中の頃、保育参観で起きた出来事です。
保育活動を見学し、そのまま給食の様子を見る時間がありました。


慣れない雰囲気の中でがんばっていた娘は、すでに疲れていました。
給食の時間、仲良しの子が娘の隣に座ろうとしたとき、娘は、強く嫌がりました。


絶対に譲らない娘
悲しそうな友達
まわりの人たちの戸惑うような目──


私は「疲れていて、わけが分からなくなっているんだろうな。」とわかっていました。
でも、その子のお母さんがつぶやいた「そんなに嫌なんだね。」という暗い声と表情に、胸がぎゅっと締めつけられました。


私は娘に寄り添う前に、まわりを気にした言葉をかけてしまいました。


本当は「疲れちゃったんだね。」「よくがんばったね。」と声をかけたかったのに、その一言が出てきませんでした。


その後、娘の背中を見つめながら、周りに気づかれないようにそっと涙を拭きました。
説明できない。誤解されたまま。うまく対応できない自分。悲しさ、悔しさ、情けなさ…


何が一番か分からないほど、胸の中がごちゃごちゃでした。
支援者としてなら寄り添えたはずなのに、どうして我が子にはできないんだろう?


あのときの娘の様子と、誰にも見えないように涙を隠した自分の姿は、今でもはっきりと思い出されます。

エピソード②「中学生の頃、学校に行っていなかったとき」

二つ目は、娘が中学2・3年の頃、学校に行っていなかったときのことです。


当たり前とされている学校に行けない。
それまで頑張ってきた勉強もできない。


娘は自分の価値を見失ってしまっていました。


人間関係への怖さも強く、家族で出かけても、帰ってから批判的な言葉が出たり、部活で辛い思いをした先輩への怒りを、強い口調で話すこともありました。


私は仕事でペアレントトレーニングに関わっていました。
でも、いざ我が子を前にすると、知識はあるのにうまく実践できませんでした。

怖かったのは、娘が「人に対してイライラしたまま」「許せないまま」苦しい心を抱え続けてしまうのではないかということでした。


その不安が強すぎて、私は娘の気持ちを受け止める前に、相手の事情を考えさせるような「正論」を返してしまいました。

でもそれは、すでに自分を責めていた娘にとって、追い打ちのような言葉だったと思います。
あのときの私は、寄り添ってくれる存在がいないことに寂しさを感じていました。

でもその孤独を認めるのも怖くて、平気なフリをしていました。
「娘が話せる相手は私だけ。私がどうにかしなきゃ」無意識にそう思っていたのかもしれません。


本当は、私自身が「大丈夫?」と誰かに聞いてほしかったのです。

「支援者としての私」と「母としての私」の狭間で…

娘がまだ小さい頃に、子育ての難しさを感じて家庭児童相談室に相談に行ったことがあります。
そのときに言われたのは「お母さんが心配しすぎ。それが娘さんにとって良くない。」という言葉でした。

知識があるから考えすぎてしまっているのかもしれない…
そう思って、何も言えなくなりました。

でも今、療育の現場にいると、あのときどこかにつながっていたら、娘も違ったのではないかと感じることがあります。

娘にも、私にも、もっと早く寄り添ってくれる大人がいたら…
そんな思いが、ずっと胸の奥に残っています。

娘が言うことを聞かなくて怒鳴ってしまったとき、娘の表情が、写真で見た自分の幼い頃とそっくりでハッとしました。
悲しそうで、訴えるような目。まるで小さい頃の自分から見られているような気がしました。

子どもにはイライラが抑えられない自分。
「支援者としての私」と「母としての私」が全然つながらなくて、本当の自分がわからなくなる感覚になることもありました。

自分を責めながらも、誰にも言えない。
止めてほしい気持ちと、知られたくない気持ち──
そんな矛盾する感情を抱え続けていました。


■協会との出会い

そんな私が少しずつ変わっていったのは、日本ペアレントトレーニング子育て支援協会に出会ってからです。

理論を知っているだけでは、実践は続きません。
続けられる場所があるからこそ、少しずずつ、行動や見方が変わっていく。それを初めて実感しました。

自己分析から始まる学び。
宿題で自分の気持ちを書き出す時間。
オープンチャットで、誰かが本音を話してくれること。
そして、それに対して多くの人が返すいろんな視点からのコメント。


「ここなら弱さを見せてもいいかもしれない。」

そんなふうに思えるようになったとき、私の中の固くなっていた部分が、少しずつゆるんでいきました。


娘とは、今でもぶつかる日はあります。
でも、娘の言葉の中にマイナスが増えたあるとき、ペアトレで学んだことを思い出し、「何かあった?」「今しんどい?」と一呼吸おいて聞くことができました。

それによって、娘が「そういえば…」と少し落ち着いて話し始めてくれました。

冷静に振り返る娘を見てホッとする気持ち。
そしてそれを引き出す関わりができたことに、一筋の光が差したように感じました。

もちろん、うまくいかない日もあります。
また言いすぎてしまったな、と後から反省する日もあります。

でも今は、「行きつ戻りつでいい」と思えるようになったことが、私の大きな変化です。

■保護者の方へのメッセージ

仕事では親御様のお話をゆっくり聞くことも多かったですが、自分自身の子育てや悩みや弱さは、誰にも出すことができませんでした。

でも、お母さんが孤独なままだと、心は知らず知らずに固くなり、子どもとの関わりにも影響してしまいます。

だからこそ今は、「1人じゃない」「責めなくていい」そんなメッセージを、同じように心が固くなってしまったお母さんたちに伝えていきたいと感じています。

子育ても、支援も、まっすぐには進みません。
うまくいかない日もあっていい。立ち止まる日があってもいい。
そのゆるやかな歩みの中で、親も子も成長していけるのだと思います。

ペアレントトレーニングは、「子どもを変えるためのもの」ではなく、「自分の見方を変えるための学び」だと思っています。

この協会は、その学びを続けられる環境と、安心して戻ってこられる居場所を私に与えてくれました。
この私のエピソードが、どなたかの心にそっと触れ、「一人じゃないんだ」「行きつ戻りつでいいんだ」と柔らかい息がふっともどってくるような、そんなきっかけになれたら、とても嬉しく思います。


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この記事を書いた人
ペアレントトレーニング支援士 5期生
上級ペアレントトレーニング支援士 2期生
児童発達支援管理責任者
高2の母
岩盤浴、旅行、海外の人との交流が好き
協会の仲間最高!みんなに会いにいきたい!

京都府 在住 
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